義務教育は何のため?『出来る子』も『出来ない子』も苦しい
こんにちは!
えぬこです。
元不登校で、
現在はアラサーのワーママです。
私が一冊の本を読み、感じたことを実体験を交えてお話します。
〈 義務教育は何のため? 〉
『義務教育』とは、
小学校の6年間と中学校の3年間の計9年間、
普通教育を受ける義務のことを言います。
全員が平等に同じ教育を受ける義務。
全員が平等に同じ教育を受けることにより、
『出来る子』と『出来ない子』は強いストレスを感じるのでないでしょうか。
〈 “出来ない子“から見た義務教育 〉
私は小学生の時、
いわゆる『出来ない子』でした。
勉強をする習慣がなく宿題も忘れがちで、
忘れ物も多かったです。
たまに得意な分野や出来ることがあっても
『出来ない子』のレッテルがある自分が
出来てしまうとズルを疑われるのではないかと思い、
わざと出来ないふりをしていたこともありました。
これ、声を大にして言いたいのですが、
人はレッテルを貼られるとそのイメージに寄っていきます。
「あなたはバカだから」「あなたは不器用だから」など、
マイナスなレッテルを子供や他人に貼ったり、
「私はダメな人間だから」「私は何も出来ない」など
自分にレッテルを貼らないほうがいいです。
本題に戻ります。
そんな『出来ない子』だった私ですが、
小学生の私は明るい性格だった為、友人が多くいました。
勉強が出来なかった為、
学校に行く目的が『勉強』ではなく『友達と遊ぶこと』だったと思います。
しかし、
中学生になり状況が一変します。
いわゆる『中1ギャップ』です。
今まで単純だった人付き合いが複雑になったり、
思春期により異性との関わり方がガラッと変わりました。
小学校の頃にはなかった“先輩後輩“の上下関係なども突如出現します。
勉強も今まで出来ないなりについていっていたものが、
完全に追いつけなくなりました。
学校へ行く目的が『人』だった私が、
人間関係が『ストレス』に変わってしまいました。
『出来ない子』だった私にとっての義務教育は、
“ついていけない退屈な授業”を聞いて、
複雑な人間関係の中で苦しむだけの辛い場所でした。
〈 “出来る子“から見た義務教育 〉
私は『出来る子』ではなかった為、体験談は書けませんが、
『出来る子』にとっても“全員平等に受ける教育“は
退屈だろうと容易に想像できます。
『部活』や『友達』など他に楽しいことがあれば
楽しく過ごすことも出来ると思います。
しかし、その楽しいことが『中1ギャップ』などによりなくなってしまったときに
『勉強』を目的に学校に来ることは難しく、
学校が退屈で辛い場所になるかもしれません。
〈 平均から漏れた子供たちの居場所 〉
平等に教育が受けられる制度は素晴らしいものだとは思います。
しかし、平均からはずれた子供たちにとっては退屈で窮屈な場所です。
もっと『出来ない子』をすくいあげる教育や、
『出来る子』がのびのび勉強をすることが、
“義務教育”の中で出来ると救われる子どもだちがたくさんいると思います。
ちなみに、
このお話はまた別記事で詳しくしたいと思っているのですが、
「出来ない子には特別支援学級があるんじゃないの?」
と思う方もいるかもしれません。
IQや適応機能により判断される為「知的障がい者」とは認定されずに、
普通学級で苦しむ子供だちも大勢いると思います。
〈 ケーキの切れない非行少年たち 〉
今更ですが、ずっと気になっていた一冊を読みました。
児童精神科医の方が実際に非行少年たちと関わる中で感じたことが書かれており、
まさに平均からはずれた子供たちのことがたくさん書かれています。
『普通』に生きることが難しいと感じている方や、
お子様がいらっしゃる方にぜひ読んでほしい一冊です。
いかがでしたでしょうか。
右利き用に出来た電車の改札や、男女でしか出来ない結婚など
世の中“マジョリティ(多数派)”向けに存在しているものが多すぎます。
共感されることが少ない分、
“マイノリティ(少数派)”が生きやすい世の中になることは
とても難しいことなのかもしれません。
しかし、理解は出来なくとも歩み寄ることは出来ます。
(だいすきなマンガ、フルーツバスケットに出てくるワンフレーズです。)
誰もが生きやすい世の中になりますように。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
えぬこ